1978-04-20 第84回国会 参議院 外務委員会 第16号
後日、参謀本部の大佐影佐禎昭大使は重慶側の密使高宗武を通じ、士官学校時代の同期生何応欽軍政部長、張群行政院副院長に私書を誓いて、あれはえらい間違いだと送った。それを読んだ蒋介石は、日本の軍部の中枢の幹部が敵将に謝るという態度に感激し、一時は日中両国の和平可能の線が出たこともあったのです。
後日、参謀本部の大佐影佐禎昭大使は重慶側の密使高宗武を通じ、士官学校時代の同期生何応欽軍政部長、張群行政院副院長に私書を誓いて、あれはえらい間違いだと送った。それを読んだ蒋介石は、日本の軍部の中枢の幹部が敵将に謝るという態度に感激し、一時は日中両国の和平可能の線が出たこともあったのです。
十四日午後七時、軍政部長の名で、賠償工場の管理者として、保全措置に関する指示を、楠瀬広島県知事にあて、正式文書をもつてマレー労働課長をして手交されたのでありますが、事態はこれを許さず、やむを得ざる措置として、副知事をして高台から拡声器で放送させたのであります。ところが、日鋼防衛共同闘争委員会の人たちは故意にサイレンを鳴らし、労働歌を高唱しまして、工員たちに聞こえないように妨害したのであります。
それから廣島事件にしましても、その他の事件にしましても、地区の軍政部長と申しますか、M・Pと申しますか、そういうものがいろいろと連絡をしたり、或いは出動したりしていることが多々あるのですが、平事件においては、その方の連絡、出動を求めるようなことがあつたかなかつたか。その二つを。
○鍛冶委員長 それは軍政部長からのあなたに対する命令ですか。先ほど工場内で出張しておつた軍政部員が命令を出されて、それによつて半数ほど出たが、また入つて来たと言われる。そのときの命令なるものは、やはり命令ですか。
○楠瀬證人 それは軍政部長の命令でありますから、それに從つて警察官がやつたことにすぎないのでありまして、私は何ら関與しておりません。
○楠瀬證人 相談というと軍政部長からですか。
○松江證人 私が共同闘争委員会の代表者数名と一緒にその後いつだつたか覚えておりませんが、呉の今で言う民政部、当時の軍政部に行つて軍政部長のトルーデン中佐並びに労働課長のチャーチル・マレー氏にお会いしました。最初トルーデンに会いましてトルーデンに対していろいろと話をしました。
○板垣證人 ダガーという大尉で、軍政部長代理です。それからあとはその日の八時ごろまでは日本製鋼所廣島製作所の労働組合として私のところへいろいろ会見を申し込んで来たり何かしました。それで今拝見しました写眞はそのときの写眞でございます。あの日の二時三十分ごろだつたと思います。
十四の夜になりまして、廣島の軍政部長の命令に基き、廣島懸の楠瀬知事は保全要員以外の全員の退去を要求しましたが、履行されず、よつて警察当局では十五日午前途に警察力を発動するのやむなきに至りました。なお本工場のみならず、一般の賠償指定工場への入場については、占領軍の命令に基きすべて許可がいることは、これはいうまでもありません。
その際廣島の軍政部長から口頭の指令がございまして、日鋼の廣島製作所においてストに從事中の組合員は全部製作所より退去せしめよというような命令を貰いまして、警察署といたしましてはいろいろ準備の態勢を作つておつたのでありますが、同日も午後になりまして賠償指定工場の管理責任者であります廣島縣知事から、工場の保管上の命令といたしまして、工場より全部退去を命令する警告文を出しまして、それによりまして、夕刻頃はそういう
大阪軍政部長コワルスキー大佐は、一月二十七日、次のように述べております。私は徴收の対象として決して貧しい中産階級の市民諸君を指してはいない。私の見るところでは、現在の日本の上層階級の國家への支援は甚だ欠如している。これらの階級は政府から多くの金を貰つているのであるから、金持階級がかかる場合に政府を支援するのは当然である。
率直に申しまして、我々外務委員は全く、白紙の状態で連調運営の実況調査に当つたのでありまするが、実地視察を行い、また、連調局長、府縣長官、並びに軍政部長等と種々会談の結果は、連調地方事務局の機能が如何に重要であるかということを深く感じたのであります。 この際連調地方事務局の機能が如何なるものであるかということを御報告さして頂きたいと思います。
○田中專門調査員 一、岡山軍政部長の勧告を受けている吉井川改修工事につきては費用僅少のため工事進捗微々たるものであるので、二十三年度においては六千万円程度の予算を充当され事業の完遂を計られたい。二、旭川改修工事についても工費僅少のため目的達成至難な状況にあるので、合同用水施行の必要もあり二十三年度においては六千万円の予算を配当され工事達成をはかられたいというのである。
このときは知事に面会を求めまして、同じことを要求したのでありまするが、三時間程会談をいたしまして、遂に決しなかつた、群衆は殖えるばかりでありまするから、クレーグ大阪地区軍政部長が今一人の中佐を連れて来られまして、知事室に入つて来て、そうして会談打切りを命ぜられたのであります。
結局同じことの問答でありますから、午後一時くらいから午後四時ごろまでに及んで解決ができないで、事態を憂慮いたしておりました大阪軍政部長クレーグ大佐は、今一人の中佐を伴われて知事室にはいつてこられまして、はてしがないから、会談はこれで打切るべしということを命ぜられたのであります。同時にこの群集を平穏裡の解鶴させよ。こういうことを命ぜられまして、警察局長に命じて解散の手続をとらせたのであります。
尚この日は知事が会談をいたしまして、やはり前と同じ問答が繰返されておりましたが、結局午後四時に至りまして、いつまで話をしても撤回はできないという以上は同じことであるというので、連絡によりまして、大阪の軍政部長クレーグ大佐がサリバン中佐という方を伴いましてやつて参りまして、大阪の場合は初めから警察官を中に入れて置きましたから、それで余程、ドアも破壊され、机なども傷けられておりましたけれども、神戸のような
事態が急であることを聞きまして、大阪軍政部長のクレーム大佐が、いま一人の中佐を伴われまして、四時ころ知事室にはいつてこられまして、もはや会談は無用であるから、これをやめるべき旨を指示されたのであります。
且つ又クロワーズ中國軍政部長は、縣民、地方民にメツセージを送りまして、官公吏の中に非常に腐敗しておる者が多い。殊に日夜宴席に列なつて酔いしれておる者が多いから、こういう者は一日も早く放逐しなければならん。連合軍のリストにもちやんと載つておる。國民もこれに協力しなければならんというメツセージを送つております。
尤も私たち一行の中の大山安氏一人残りまして、これは軍政部長並びに縣当局に報告の責任があるというので参られました。併し一行が参っておりまする間におきましては、何ら非常識なる行爲がないばかりか、我々は何ら追究されても公明正大であったと申上げることができるのでございます。ただ大山安氏が茨城縣会を訪問いたしました際の態度は、私たちは存じておりません。
この銀線摘發の問題につきましては、一昨日のことでありますので、時間的に私みずからが行くだけの餘裕をもちませんでしたから、私の代理に第八軍軍政部長まであらましのことを報告させておきました。
そのときに福井軍政部長ブオン大尉という人が、こういう刑務所では弁護人にも、被疑者と一般の人間との間の接見を禁止しておるということを聞いて、そうして福井の刑務所に臨まれて、こういうことを命令されたのが私の関係しておる刑事事件に現れて来たから、これを一つ、参考までに聽いて頂きたいと思うのであります。